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長崎新聞・西日本新聞に掲載されました。
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新作アニメーションお披露目のご案内
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朗読劇
「戦時下の学校校舎に
被爆患者収容を偲ぶ」
私たちについて
松原の救護列車を伝える会
について...
<語り継ぐ>
母や家族の名前を呼びながら、原爆で負ったけがの苦しみに耐えた人々が松原に居たこと。
必死でその苦しみに寄り添い、介抱をした人々が松原に居たと言うこと。
「原爆を、他人事ではなく自分の土地で起こったこと。」と知ることで、伝えていく事、そして平和に生きる事の大切さを、実感して欲しい。
「じいちゃん、ばあちゃん話して とおちゃん、かあちゃん伝えて そして僕たち、私たちに聞かせて」
この言葉を合い言葉に私たちは、生きた証言を聞くことが出来る「最後のチャンス」を与えられて、活動をしています。
救護列車とは...
救援列車=原爆による負傷者を諫早や、大村、松原、川棚、早岐などに輸送した。道ノ尾駅などから乗った負傷者は約3500人とされる。救援列車は被爆直後の混乱と絶望の中で迅速に組織され、負傷者たちを安全な地域に避難させるために重要な役割を果たした。
特に大村市松原では、救援列車で運ばれた負傷者たちが多く到着し、地域住民、婦人部や警護団などが総力を挙げて対応にあたった。松原小学校や公共施設が臨時の救護所として利用され、多くの負傷者が治療を受けた。医師や看護師だけでなく、地元住民も食料や水を提供し、負傷者たちの世話をするために協力した。
画:マルモトイヅミさん
松原の救護列車の碑
<未来への郵便屋さん>
2013年、松原の救護列車を伝える会は、武蔵野美術大学「旅するムサビ」の三澤一実教授と学生6人、そして長崎県窯業技術センターのスタッフの方の指導のもと、松原小学校の子ども達と一緒に、歴史と平和を伝えるモニュメントを制作しました。
これまで学んできた救援列車と救護活動の歴史を思い出し、郵便やさんに託して未来に届けたい、大切なもの、美しいと思うものを、子ども達一人一人が粘土で表現し、陶器のパーツを作製しました。このパーツを乗せる、モニュメント本体の形も、いくつかの模型の中から子ども達が多数決で選んでいます。
松原地区の方々の、ホームステイや食事の提供などたくさんのご支援を頂きながら完成したモニュメントは、2013年12月24日の完成お披露目会で公開され、地域の方々と一緒に完成をお祝いしました。
長崎市の方向を向いて大きく羽ばたこうとしているモニュメントを、是非ご覧下さい